この絵画はトルコのDailyArtファン、Kutlayさんからおすすめされました。おすすめをいただいた上に、情報源を探す手伝いもしていただき、本当にありがとうございます!
1906年に描かれたこの絵は、おそらく最も高価なトルコ絵画でしょう。2004年に350万ドルで売却されたのち、現在はイスタンブールのペラ美術館に展示されています。オスマン・ハムディ・ベイが絵画制作を行った当時、オスマン帝国は社会的・政治的動乱の最中にありました。トルコの近代考古学の開祖となったベイ。イスタンブール考古学博物館が世界で最も敬意を払われる博物館の一つとなるよう、ベイは奮闘しました。加えてベイは、作品を通して、芸術に卓越し草分けを行った画家としても有名になりました。
この絵に描かれているのは年配の男性で、身にまとっているオスマン帝国の伝統的な宗教服は、19世紀半ばのタンジマート改革に伴うフェズ(トルコ帽)の導入や西洋式の服装の普及よりも前の時代のものです。手に持っているのはネイという伝統的な笛で、男性はこれを使って足元の陸亀を「調教」しようとしているのです。絵画に描かれている部屋は、実在のモスク――トルコのブルサにある緑のモスク(イェシル・ジャーミィ)――の一室です。年配の男性が近くにいる窓が、この部屋における唯一の光源です。ベイは、歴史に出てくるような時代錯誤の人物が亀を訓練しようとする姿を通して、オスマン帝国の改革における緩慢で無駄な試みを風刺したのです。
手短な歴史の授業が必要かもしれませんね。オスマン帝国には、後に「チューリップ時代」の名で知られる時代(18世紀)がありました。この時代の重要なところは、帝国が衰退を始めたという点にあります。パーディシャーは、ヨーロッパと商業的・文化的なつながりを確立することで国を西洋化しようとしましたが、上層部の長官のみを招いて贅を尽くした浪費的なパーティーを開くに至り、結果として西洋化の試みは完全なる失敗に終わったのです。こうした催しでは、調教師によって調教された亀が、ろうそくを甲羅に乗せて運んだり、机の間を歩いたりしていました――この亀は、1730年のパトロナ・ハリルの反乱の後、派手なオスマン帝国における東洋的な過去の遺物を代表するものとなりました。こうした役に立たない動物に「教えを説こうとした」、あるいは動物を「訓練しようとした」老人は、挑戦を(教えを説くのを)完全に諦めてしまいました。不可能なことを試みて、疲れ切ってしまっているように見えます。この男性は、何かを変えようとしたものの、トルコ社会の現状を変えることは不可能だと気づいた東洋的人物なのです。
当時は多くの人の目に触れることはなく、理解されることもなかったこの絵ですが、その後の数十年間に重要性を増しました。なぜならば、この絵は1908年の青年トルコ人革命を予感させるもの、すなわち、スルタンによる直接的な専制政治に終止符を打ち(1913年のクーデター以降は三人のパシャによる統治に取って代わられることとなる)、中央同盟国側としてオスマン帝国が第一次世界大戦に参戦する――その後の分割につながることとなる――までの土台を作った革命を、予言した絵であったからです。