エドワード・ジェームズ・マガーリッジは、1830年、イギリスのキングストン・アポン・テムズで生まれました。イギリスとアメリカを何度か行き来する中で、何年にもかけて改名を重ね、マガーリッジからマグリッジ、マイグリッジ、そして最終的にはエドワード・マイブリッジと名乗りました。最初は出版業界に勤めていたものの、1867年以降はだんだんと写真界に携わるようになりました。国の至る所で撮影されたテレオ写真が有名です。
写真が生まれる前の時代、芸術家たちは、速歩で駆ける馬を表現することにずっと苦労してきました。未解決だった大きな問いのうち一つが、速歩をしている間、馬の脚が4本とも同時に地面を離れることはあるのか、というものでした。1870年代まで、ほとんどの芸術家は走っている馬を描く際、脚が一本地面についている状態で描きました。1872年、カリフォルニアの元知事で、のちのスタンフォード大学創設者であるリーランド・スタンフォードは、この謎を解けるか尋ねようとマイブリッジに近づいたのです。
マイブリッジは12個のカメラを使って実験をはじめました。例の問いに部分的な答えが与えられたのは、マイブリッジが馬の脚が4本とも地面に着いていない写真を一枚撮影した年でした。1878年、マイブリッジは、スタンフォード所有の農場の走路に平行にカメラを並べ、小さな仕掛け線(実際には糸)を取り付けて、馬がそこを駆け抜けられるようにしておき、カメラのシャッターを押せるようにしました。生み出されたのが、走るサリーを連続で映した12枚の写真で、サラブレッドの雌馬とジョッキーであるドムが、完全に地面から離れている瞬間が何度かあることがはっきりと示されています。マイブリッジは、ズープラクシスコープという名の機械の発明すらしており、これを使うことで写真を連続で提示できるという、後の時代では映写スライドやプロジェクターが有することになる機能を持っていました。
マイブリッジは1904年に亡くなりました。1982年、作曲家フィリップ・グラスはマイブリッジの作品を称えて、『フォトグラファー』というメディアパフォーマンス(室内オペラ)を創り上げました。マイブリッジ生誕182周年となった2012年には、 全く異なる形で芸術的な賛辞が送られました――Google Doodleでアニメーション化されたのです。