ヘレン・ハイドは、日本の版画技法を日本で直に学んだ、最初のアメリカ人女性画家です。サンフランシスコで育った彼女は、サンフランシスコ・デザイン・スクール、ニューヨークの美術学校アート・ステューデンツ・リーグで学んだ後、ヨーロッパへ渡ります。1891年から1894年にかけてパリに住んでいた頃に、ヨーロッパにおける浮世絵の流行の渦中に身を置くことになりました。転機となったのは、1893年のメアリー・カサットの多色刷エッチングの展覧会。パリ在住のアメリカ人画家カサットは、日本の浮世絵の影響を受けた版画を制作しており、とりわけ母子の情景を好んで採り上げましたが、ハイドもそれに倣って同様の主題の作品を制作しました。
ハイドの初来日は1899年。短期間滞在して帰国しましたが、その後は1914年まで、多くの時間を東京で過ごすことになります。そこでは、伝統的に複数の職人が協同で作業を進めていく、浮世絵の複雑な制作工程を研究。画家が描いたスケッチや水彩画をもとに、色の数だけ版木が彫られ、その後に紙にイメージを摺り込んでいきます。ハイドは自分でも彫りの技法を学びましたが、自身が描いた絵をもとにした彫りと摺りの細かい仕事には日本の職人を雇っていました。最後の版の摺り上がりのイメージが自分の構想通りになるように、職人たちと密接な関係を築いたのです。
私はこの版画が大好きです。タイトルもいいですね!
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