ユベール・ロベールが1767年のパリのサロンでこの絵を展示したとき、彼の作品は広く高評価を受け、ディドロからも熱烈な賞賛を得ました。この反応は意外なものではありませんでした。というのも本作はロベールの美的観念が強く表されており、かつ、“荘厳さ”を求めていた時代の熱狂に合致していたからです。
ロベールが画家としての軌道を形成したのは、ローマで暮らした1754年から1765年。同地で風景画家から建築場面を主とする画家に転身し有名になり、「ロベール・ド・リュイヌ」(遺跡のロベール)というあだ名がつきました。
紀元前64年のローマの大火を描く選択は、ロベールの建築物への情熱と、時流だった荘厳さのある様式——深く、時に驚嘆させるような感情を引き起こすスタイル——を組み合わせる機会となりました。この大火事は合計9日続き、最終的にはローマの71%が焼失しました(14地区中10地区)。
タキトゥスやのちのキリスト教の伝承によると、皇帝ネロはこの荒廃の責任をその街のキリスト教コミュニティに負わせ、帝国で最初のキリスト教迫害の計画を立てたそうです。同時期の歴史家にはネロの無能力さを非難する者もいましたが、多くの歴史家は、ローマは非常に密集しすぎていて火事は避けられなかったという意見で一致しています。
話を絵に戻しましょう。『ローマの大火』は、背景のドラマティックな光を中心に構成され、その光は構図をまとめ、単なる歴史の出来事以上を表現しています。二つの巨大な勢力——歴史と自然——の衝突が伝えられていますが、それはスケールの不均衡さで象徴化されています。この緊迫状態によってローマは美化され、同時に破壊されています。
ロベールはこの絵で、自身の作品に特徴的な表現である聖堂のファサードやアーチを用い、広大な歴史物語における人間ドラマのために、計り知れないほどの構造を作り出しました。火から逃げる女性たちを中心に据えることで、この場面の感情的な強烈さをさらに高めています。一方で、子を階段から引き下ろす母親の上、絵の中央部に古代像が描かれていることは、二つの領域、つまり古代と近代、そして天界と地上の共存を象徴的に反映しています。
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P.P.S. ユベール・ロベールは遺跡に魅了されていました。遺跡のロベールによる、ミステリアスな絵の世界を探索しましょう。